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私は現在、完全FIREに向けて準備中の一般会社員です。
実は現在、私は仕事を休職しています。
今年の春先に適応障害の診断を受け、休職に入り、およそ3カ月が経過しました。
今回は、私が休職するに至った経緯について、若干ほろ苦いリアルな経験をつらつらと語っていきます。
同じように仕事で悩んでおられる人の参考になる部分もあると思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。
私自身と職場環境について
私は現在、とある金融機関に所属しています。
過去に2回転職を経験していて、この会社は3社目です。
事業内容や業界には興味がありませんが、給与水準が比較的高く、FIREの早期実現のために転職したのです。
それで、休職することになった理由ですが、直接的な原因としては、ここでの新しい仕事に馴染めなかったからというのが大きいです。
私はコミュ障気味なのと、神経質なところがあって、計画通りに物事を進められないとかなりストレスを感じるタイプです。
なので、あらかじめ決められた作業を、決められた手順で、決められたスケジュール通りに進めることはある程度できますが、臨機応変な対応は非常に苦手です。
これまでは、経理や情報システムといった管理部門でのキャリアが長く、特別好きな仕事ではなかったものの、タスクがある程度明確で、顧客と関わらずに済むことから、こんな私でもなんとかこなしていました。
部署異動
この会社でも最初の数年は管理部門だったので問題なかったのですが、ある時、人事異動で顧客と直接関わるフロント部門に配属されたのです。
そこで状況が一変しました。
新しい部署での仕事は、顧客に生じたトラブルを解決するというのが主な仕事内容だったのですが、これがとにかく私に合っていなかったのです。
そのトラブルというのが、海外で発生することが多く、いつ発生するのか予測できないので、夜中だろうと休日だろうと関係なく対応に追われることになります。
常に会社から支給された携帯電話を手の届く範囲に置いておき、いつでも出れるようにしておく必要がありました。
着信があればすぐに対応しないといけないので、気軽に旅行に行ったり、電波の届かない山や海に遊びに行くことも気軽にできなくなりました。
それに、夜中に着信があるかもしれないと考えるとなかなか寝付けず、わずかな物音でも目が覚めるようになって、睡眠の質が悪くなっていきました。
案件の内容は毎回異なるので、決まった手順というものがなく、毎回対応方針を一から組み立てる必要があり、国内外の複数の関係者が関わるため、スケジュール通りに進むこともまずありません。
また、詳細はここでお伝えできませんが、訴訟に発展するような厄介な案件もあり、そうした案件の解決をサポートしていくなかでは、時に顧客から𠮟責やクレームを受けることもありました。
基本的には法令や社内のルールに則って、粛々と仕事を進めていけばよかったそれまでの管理部門での仕事と異なり、異動先の仕事では、顧客のニーズや事情、言外の要望を汲み取って、スムーズに対応することが求められました。
ですが、こうした感情労働は私が最も不得意かつストレスを感じる分野でして、労働時間が大幅に増えたこともあって、瞬く間に心身が消耗していきました。
当時は、食べ物の味がしなくなったり、常時頭痛がするようになったり、まっすぐ立っていられなくなったり、ちょっとしたことですぐにイライラするようになっていました。
いつ携帯が鳴るか分からないので、仕事とプライベートの境目が悪い意味で曖昧になり、常時仕事のことが頭から離れませんでしたね。
ひどい時には、何もないところで急に涙が出てきたり、家でシャワーを浴びているときに急に叫んだりしていました。
今振り返ると完全にヤバい奴ですよね…
とどめの一撃
そんなある日、非常に厄介な案件を私が担当するように部門長から指示されました。
どれくらい厄介かというと、私の職場で前例がないほど込み入っていて、担当したベテランの前任者が匙を投げてしまったほどです。
そんな案件を異動したばかりの経験の浅い自分がやるのか、という驚きと絶望感が一気に押し寄せた結果、自分の中で何かがプツンと切れました。
「ああ、これもうダメだ」
黒い点々が規則的に並んだ会議室の白天井を見上げながら浮かんだのは、その言葉だけでした。
私はもともと働くのが嫌いで、生活があるから仕方なく働いていただけに過ぎません。
特にFIREが現実的になってきたここ数年は、労働意欲はゼロに等しく、モチベーションもありませんでした。
ただでさえそんな状況なのに、希望していない部署に勝手に異動させられ、適正のない面倒な仕事をやらされ続けることに心底嫌気がさしたのです。
「俺、なんでこんなことやってるんだ」
「心身すり減らしてまでやるようなことか?これ」
とにかくもう限界でした。
心療内科へ
その日のうちに心療内科を予約し、1週間後に受診しました。
精神科の先生は、私と同年代のように見える男性医師。
事前に問診表を記入していたので、相手は大体の事情は把握していたようで、
「まぁ、適応障害ですね。仕事、休みたいようでしたら診断書書くので言ってくださいね。」と、あっさりとした説明。
映画やドラマとかだと精神科医って、もっとじっくり丁寧に患者の話を聞いて寄り添うイメージがありましたが、私の担当医は早口で淡々としており、かなりビジネスライクな印象でした。
まぁ、1日に何十人もの患者を診ているんだから、実際はそうなりますよね。
診断書を書いてもらうのに、追加費用が5000円かかるので結構痛い出費ですが、そんなことを気にしている場合ではありません。
私はとにかく、現在の仕事を続けるのは無理だなと確信していたので、すぐに診断書を書いてもらいました。
そして休職へ
そこから先の展開は早かったです。
翌日の仕事終わりに、直属の上司である部門長に「ちょっとお話したいことがありまして、お時間よろしいですか」、と声をかけ、打ち合わせ室に来てもらいました。
そこで診断書を見せて休職したいということを伝えると、普段無表情なこの部門長が、「え!?」っという感じで、すごく驚いていた様子でした。
彼の目線からは、どうやら私が休職するほど限界を感じているようには見えなかったようです。
今回も普通に仕事の相談で呼び出されたと思ったのでしょうね。
自分が思っているほどには、他人は自分のことを見ていないし、分かっていないということです。
この際だと思って、私は現在の仕事がとても負担になっていて、自分がまともじゃなくなってきている、心身共に限界を感じているということを正直に伝えました。
「あらら、うーん、そうだったんですか…」
と言った後しばらく部門長は考え込んでいた様子でしたが、特に引き留められることなく、すんなりとOKが出ました。
その後、人事部長も交えての面談があり、休職の最終的な意思確認と具体的な手続きについての説明を受けました。
一点だけ揉めたのが、休職をスタートする時期についてです。
同僚への引継ぎが必要だったので、私としては数日間の猶予が欲しかったのですが、問答無用で翌日からすぐに休職に入れ、とのことでした。
この点は人事部長がやけに強硬な姿勢で、受け入れないと打ち合わせ室から出られないような空気でした。
ただでさえ心身を消耗しているのになんだよ、と心底うんざりした私は、大人しく受け入れることにしました。
今思えば、私の体調を気遣うというより、勤務継続して変に症状が悪化して会社のせいにされたら面倒、ということだったのでしょう。
実は、私の職場ではメンタル不調で休職する職員がそこそこいて、会社側も手馴れているのか、手続き自体は非常にスムーズでしたね。
休職生活スタート
会社にPCや携帯電話を返却し、文字通り何も持たず帰宅し、そのまま休職に突入することになりました。
はじめの1週間は、心身ともに疲れ切っていて、寝たり起きたりを繰り返す日々。
まだまだ寒さが収まらない冬の終わりの中、一歩も外に出れず、布団に潜りっぱなしでした。
携帯電話の着信音やメールの受信通知音が鳴らなくなった自分の部屋は、とても静かで、平穏だったのを覚えています。
人生で初めての休職は、想像よりずっと、容易くすんなりとスタートしました。
もう普通の社会人としては再起不能かもな、という不安がよぎりつつ、同時にこれでしばらく会社に行かなくて済むという、大きな安堵感もありました。
近いうちにFIREして辞めようと思っている職場だったのに、こんな不安を感じるのも今となっては変な話ですね。
長年の社畜生活で、正社員以外の生活が考えられない状態になっていたんですね。
このとき、異動して数カ月が経った頃でした。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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